都市を記憶の集積として捉えているのだ。だからそれを破壊されるのは、自分かちの記憶と内面を粉々にされることを意味するのである。建築は壊れるものである。けれども誤解してならないのは、建築は決して壊されるためにそこに存在しているのではないということである。むしろ建築は、記憶を残すためにこそ存在する。歴史を振り返れば、このことは歴然としている。もちろん、昨今の東京のように、むしろ記憶を消すために存在するような奇妙な都市もあるのは確かだ。
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そこでは記憶のない空間を積極的に生産しようとするありようさえ見える。たとえば仮想空間の践賠がそれである。それもまたまぎれもない都市の実態として、無視することのできない現実に違いない。歴史的な事実とは逆行する都市が、情報化とグローバリズムの名のもとに、いまや生まれつつあるのだ。果たして私たちの暮らす都市は、これからどこに向かおうとしているのか。都市とその建築を見ていくことから、その方向性が姿を現わすのではないだろうか。建築表現で、マテリアル、つまり素材は、これまでにないほどの役割を持っている。多くの建築家が何らかのかたちで素材に着目している。それどころか、マテリアルを単なる「仕上げ」とは考えず、作品のコンセプトとし、中心的課題としている建築家さえいて、素材をどう扱うかで、その建築家の建築思想がわかるといってもいいほどなのだ。いまや素材ブームと呼んでいいような傾向すらある。